Lylic

十九歳の時だったか。何気ないどうでもいいやりとりで、四つ年上の知人が「ハタチ過ぎると時間が経つの超早いよ」と言っていて、まぁそれは月並みなよく聞く話、なのに今も覚えてるのはきっと私が目前に迫った成人という通過点に怯えていたからなんだろうけれど、いや違うな、おかしな話、今も怯えていて、なるほど。事実だった。

ここで言う「おかしな話」というのは、現在二十五歳でとうに大人であるところの私が今も怯えていること、未来でなく既に起きて体感しているる現実に対して怯えていること、両方だけれど、つまり、「歳を取るのをやめる」ってきっとこういう感覚なんだ。私は変わっていない、世界は歩みを早めていく、必死に喰らい付いてみるけれど、まだ十九歳の少女のつもりなんだろう、私。時間はただの代償だ、怯えることなんかないさ、それこそ十九歳の私よ、お望み通りじゃないか。

孤独も当然だろう。でもこれは月並みな、よく聞く話だ。ハタチを過ぎるとみんな時間に置いていかれて孤独になるんだろうか。分裂した自我の片方が?

彼(時が過ぎて今は”彼女”だ)はどんな気持ちだったんだろう。


大学三年の時、学科の教授の一人が定年を迎え、退職される運びとなった。その人は(私個人の偏見も大いにあるが)典型的な「文芸科の教授」で、「作家になりたかったけれど才能無くてなれなかったので研究者になりました」、バリバリの作家論者、やる気なくボソボソとあらぬ方向を見つめながら語られる話にはすぐカフカが呼び出される、そんなお人で、学生からの人気は全くなく、私自身必修授業だけ受けてしかも全部寝てたんだけれど、それでも退職される前に、一つ、文集のようなものを書かれていったんだそうな。その文集の編纂を、学生からの人気が高い叩き上げの若い準教授がなされたらしいのだけれど、彼が話すことには「文章が全く切れず、何十行もずっと、どこまでも読点が続いていく。書いている本人も長過ぎる一つの文章の途中で、話を忘れて別の方向を向いていったりするもんだから、意味内容を解読するのに時間がかかった。ただ、手書きであれだけ長々と言葉を連ねていけるのは凄まじいことだ」、と。

スーツを着た男どもの世界で、なるべく浮かぬような私服――これは私服なんだろうか、膝丈のタイトスカートも着丈の合ったカーディガンも、全然私の趣味じゃない、わざわざ買ったんだ――を着て「誰にでも読めるメール、誰にでもわかる資料を書け、最初に結論を一行で、文章は一文約30字以下が適当、一段落は3行までが適当」との求めに応じ、サルに読ませることを想定した文字を毎日せっせせっせと書いていると、あの教授を思い出す。

教授は孤独な老人だった。孤独な人間は一息が長い文章を書く。対照に、ビジネス文書の文章は息継ぎが多い。なぜ孤独な人間は息をしないのか。ほとんど死んでるからだ。終わらない文章が閉じ込めているのは、もしくは閉じ込めようとしているのは永遠だ。息継ぎの多い文章に溢れているのは生命力と機敏さだ。


ここから先は普通の日記なんだけれど。

ここ数年、自分の好き勝手に文章を書こうとすると、どうにも文章が切れない。馬鹿みたいに長くなる(今日は自重せず、筆に任せて書いてみた)。それを嫌がって綺麗に書こうとすると、今度は短くなり過ぎる。どちらも私が好きな文章じゃない。調和が必要なのか? やっぱり、大人にならないといけないのか? 正直、年を取るのをやめた私自身のことは、好きだ。「世界が悪い」と思ってる。だからここにいる。


最後に余談。

ほとんど戦前の話だけど、小説家になるか詩人(俳人)になるか、その進路の違いには「体が強いかどうか」がかなり大きな要素を占めている。小説家の方を向くと少しわかりづらいけど、詩人・俳人を見てみれば、中原中也然り、尾崎放哉然り。つまり、「小説を書く」というのは物凄い重労働、体力仕事なんであって、体が弱いとできないのだ。紙の上ではすべて逆転する。(ここで言う「すべて」というのは書いてしまいたいから書いたのであって、全く正確性を欠いた―――……

Recent Posts

Recent Comments

  • ウツリヅ より
  • ウツMakoto Ohno(KING) より

Calender

201911
Mon Tue Wed Thu Fri Sat Sun
- - - -123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 -

Categorys