戦争文学

  • 2014.11.12.Wed 22:12:14
  • 日記

野火読んだ。
およそ軍隊に向いてない主人公が、敗走中に他の兵隊と社会的な交流を持ったりはぐれて孤独になったりを繰り返す過程が面白かった。
体験を重ねていく中で「それでも社会っていいものだよ」と素直に描写されたりされなかったり。
あとはラストの三人の日本兵の緊張感。
でも、あまり面白くなかった。この主人公嫌い。なんか虚弱で。友達になりたくない。それで腰据えて読めなかった。
あと舞台が極限状態過ぎて通ずるものがなくて想像が及ばず連想も広がらず、つらたん。
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腰据えて読めなかったので、あまり文学的なところに触れないで色々考えてた。
で、なんか結論として「言葉は常にすべて優しい」ってところに帰結したんだけど、なんでそんなところに行っちゃったんだっけ。
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今、Wikipwdiaで戦争文学引いてみたんだけど、ちゃんと振り返れば有名な作品大量にあるんだね、やっぱ…。
私が読んだ中でパッと思い出せたのは三作品で、
ビルマの竪琴(1947)、二十四の瞳(1952)、黒い雨(1965)だけど(年号はそれぞれ初出)、野火は1951年。
正直、黒い雨より後なんじゃないかと推察してた。黒い雨が60年代に発表されてるのは井伏に戦争体験がほぼ皆無で関心あるところから資料集めまくってたからだけど、野火はなんとなく、それより後なんじゃないかと。戦後6年、異様に早い。
それでいて上記その他の作品が(あくまで基本的には、だが)被害者としての語りをなす中で、「加害」について掘り下げまくってるわけで。
戦場の描写もかなり際どい。まぁ二十四の瞳と黒い雨はそもそも内地の話だし、ビルマの竪琴も一応カテゴリが児童文学だから比較するのも変な話なのはわかってはいるけれど…。
主観によるお話だけど、主観のお話だからこそ、よく短期間でこれだけ整理したなって心から思う。
「だけど」の多い文だな。
「6年」については通ずるものあった。
私、6年前に死んだ友達の詩、書きたくて書いたけど、まだ書ききれない、書ききったことにしたくない。
けれど満足いかないから書くの怖い、書きたくない。
下手なもん書くと彼とのなんもかんも無価値だったように感じられて。
や、私の書いたものなんて大して誰も読まないんだけど。
(作家は大変だ)
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Wikipedia読むまで忘れてたんだけど、原民喜の夏の花も、大田洋子の屍の街も、林京子の祭りの場も、たしか私、卒論書くときに読んでるんだよな。全然思い出せないけど。
祭りの場は面白かった気がする。でもやっぱ私あまり戦争文学好きじゃないみたい。
視点変えて麦と兵隊、ちょっと読んでみたいな。
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静謐な死体、というのが野火には本当に出てこなくて。
でも、例えば白血病で亡くなった少女の死体と、日照りと豪雨と蛆・蝿・蛭によって姿を変え続ける老兵の死体、比べて文学的なのは明らかに前者じゃないか。
私はきっとだいぶ古典的な見方を信じている人間で、
例えばクラスメイトに馴染めない根暗な少年、恋に恋する無知な少女、彼らが読い書きするのが小説で詩で物語だと、現実を捻じ曲げて人に優しくしてくれるのが文学だと思っていて。
だから戦争を文学にするなら、それが慰めであるならともかく、悲惨な戦場なんて描けるのか。
戦争を知らない人間が書くこと、読むことの意味はどこにあるのか。
資料紐解くなり原爆資料館行くなりならわかるのだけれど。
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野火は私にはただの悲惨な小説だったけど、戦争を知る一部の人には優しいんだろうと思う。
それでいいんだきっと。

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